ピンサロの歴史と生まれた背景
そのシステムから衛生状況まで、他の性風俗店とは全く異なるスタンスを取るのが風俗界の異端児ピンサロ。
あれもダメ、これもダメとプレイにおいてはかなり制限は多いのですが、それでもなおあの独特な空間でサービスを受けたいと男性陣の心を掴んでいます。
さて、今回は少し別の角度でピンサロの魅力を解説していきましょう。そう、ピンサロが歩んできた軌跡についてです。
今でこそデリヘルに代表される派遣型風俗が主流になっていますが、ピンサロは飲食店扱いではあるものの、店舗型のお店として営業しています。
大げさに聞こえるかもしれませんが、高度成長期に大流行したピンサロは、昭和の遺産、生き証人とも捉えることができるのです。(ピンクサロンやピンクキャバクラなどとも呼ばれていました)
ピンサロの歴史は戦前まで遡ることができ、簡単に言ってしまえば女の子(女給)が飲み物や食べ物をサーブし、ちょっとしたお触りやデートを楽しめる飲食店が原点。
今でいうキャバクラやラウンジ的な要素を汲んだ飲食店というわけですが、大衆的な卑猥プレイスというわけでなく、意外にハイカラな男性陣も出入りしていたそうな。
カフェに似た形態もあれば、エンタメ要素の強いキャバレーやハードなお触りが可能なカフェーという飲みの場が多かったそうです。
キスやお触りで終わりなのか、それとも本格的な売春行為が行われていたのかは明言できませんが、飲食しながらハッピーエンディングを迎えられる形に落ち着いたのは50、60年代だといわれいます。
アルコールを楽しみながら女の子からの接待を楽しむわけですが、その接待の幅は抱き着いて胸元をまさぐる、または男性の膝に乗ったりなど、ずいぶん見慣れたサービスばかりです。
なお、その当時はちょんの間形式をとり、お店の二階部分でより踏み込んだ性的サービスを受けられる店舗もあったそうです。
まとめると、当初はアルコールとともにお触りを楽しめるライトサービスから始まり、徐々に口や手コキによる接客が取り入れられ一大ムーブメントを呼ぶ風俗業種へと成長していくのでした。
今も昔も飲み物片手に女の子との会話、お触りを楽しみ、そして盛り上がった暁には手コキやフェラでリフレッシュするわけです。
そのスタイルや呼び名こそ変わってしまいましたが、ピンサロという場が今の日本を支えた先代たちの憩いの場であったことはいうまでもなく、明朗会計な料金システムも人気に火を付けた要素の一つだったそうです。
当時は法律的な縛りも緩く、性病に関する知見や関心もないがゆえ、大きな規制対象にならなかったのでしょうね。
風俗文化はアジア、欧米でも全く異なりますが、このような独自スタイルの性風俗店は日本以外でほぼ見当たらず、日本における性文化史、風俗史においても興味深い業種であるということも付け加えておきましょう。